彼は、夢の舞台に立っていた。
2013年、夏、大分県のとある陸上競技場。
全国インターハイ、男子100m準決勝。
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彼は中学校へ入学すると陸上競技部に入った。
短距離や走幅跳びが楽しそうに思えた。
お母さんは彼に一生懸命がんばらせてあげたかったし、
ケガや故障もしないでほしかった。
そのために足に合ったシューズを合わせてあげようと、
彼がお母さんに連れられて初めて店にやってきたのは、
今から7年前の話だ。
彼は
「普通」の男の子だった。
そして「普通」の中学生として三年間一生懸命に走りつづけた。
彼は高校に入学してからも陸上競技をつづけた。
100mは
11秒台前半で走れるようになった。
「普通」の高校生としては、
そこそこ速く走れるスプリンターになっていった。
(
2012年4月のシュー・フィッティング記事)
(
2012年5月のシュー・フィッティング記事)
高校2年の秋、彼は初めて
100mで
11秒の壁を破る。
記録は
10秒93。
「普通」の高校生としては、立派な記録だった。
(
2012年12月のシュー・フィッティング記事)
高校3年の春、彼は「夢の舞台」である
全国インターハイへの出場を密かに狙っていた。
ずっと彼のシューズをフィッティングしてきた
川見店主も同じ気持ちだった。
夢の舞台へ立つ準備は、誰にも知られずに進められた。
彼のために用意された2足のスパイクシューズは、
彼とオリンピアサンワーズがともに走ってきた
5年間の、
30足にわたるシュー・フィッティングの
集大成だった。
「
オリンピア史上最高傑作」との呼び名も高い、
ゼロ・アムフィット搭載の2足のスパイクシューズ↓
(
2013年3月赤のスパイクシューズ・フィッティング記事)
(
2013年4月青のスパイクシューズ・フィッティング記事)
この2足のスパイクシューズを履いて、
彼は
「未知」
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